道後温泉本館・愛媛県松山市

施設名:道後温泉本館
種別:日帰り施設(立ち寄り湯)
電話番号:089-921-5141(道後温泉事務所)
所在地:愛媛県松山市道後湯之町5-6(道後温泉本館)
営業期間:通年
営業日:毎日(年末の1日間は大掃除のため休館)
営業時間:6:30〜23:00

駐車場:あり 100台 午前5時30分から午後11時30分まで
・料金:30分100円(道後温泉本館又は道後温泉椿の湯の利用は、館内に設置されている認証機に駐車券を通すと、最初の1時間は無料)


源泉名:道後温泉第2分湯場(第6,8,9,17,19,21,25,26,28号源泉)
泉質:アルカリ性単純温泉[低張性-アルカリ性-高温泉]
泉温:48℃
湧出量:--リットル毎分(自噴)
成分など:PH9.1 成分総計0.27g/
利用形態:源泉掛け流し(塩素殺菌)
浴室:内湯(男女各2)

入浴料
・霊の湯 3階個室 1,550円 6:00〜22:00(札止めは20:40)
 利用時間1時間20分以内 入浴と休憩 (お茶菓子付)
・霊の湯 2階席 1,250円 6:00〜22:00(札止めは21:00)
 利用時間1時間以内 入浴と休憩 (お茶菓子付)
・神の湯 2階席 840円 6:00〜22:00(札止めは21:00)
 利用時間1時間以内 入浴と休憩(お茶菓子付)
・神の湯 階下 410円 6:00〜23:00(札止めは22:30)
 利用時間1時間以内 入浴 のみ
・椿の湯 400円 6:30〜23:00(札止めは22:30)
 道後商店街の中央付近に位置

バリアフリー:高齢者などには辛いかもしれません
・手すり:ほとんどありません
・移動:階段があります
・段差など:一部大きい


利用日:2012年9月


詳細情報
道後温泉は松山市に湧出する温泉で、日本三古湯のひとつと言われます。
夏目漱石の小説坊ちゃんにも描かれ、また 千と千尋の神隠しに登場する「油屋」のモデルとされます。
道後温泉本館は1894年に建てられた3層楼の外観で、浴槽は庵治石で出来ており、国の重要文化財に指定されています。

浴槽は2つあり、筆者が入浴した時は空いているほうの浴槽に入りましたが、混んでいる方の浴槽は「坊ちゃん」が入浴したそうです。また浴室は洗い場はありますが、石鹸などはありません。

また、浴槽に使用されている庵治石は、香川県高松市の庵治・牟礼地方で産出される花崗岩で正式名称は黒雲母細粒花崗閃緑岩と呼ばれ、石質や希少性などから世界でも最高級とされる石です。








民宿眺湖台「閉館しました」・北海道網走市・

所在地:網走市大曲天郡山40-1
部屋数:和室10室「トイレ共同」
建物:平屋
営業期間:閉館


筆者が観光コンサルをする原点になった宿です。


地元の近くにあり、学生時代この宿で夏季に2年バイトをしていました。
この宿のオーナーは、利用された方に対して満足してもらえるようにと、常日頃考えていました。


天都山の中腹にあり、宿の前には網走湖と網走川、そして刑務所の農園が見渡せます。


この風景も素晴らしいのですが、特に夕日になると感動を与えてくれる光景になります。


宿では夕日の時間に合わせて夕食になります。屋根のついたテラスで北海道名物のジンギスカンが夕食になります。また、連泊の場合にはオホーツクの刺身などが並びます。



この光景を見るために、連日満員のお客様でにぎわっていました。
お客様の満足そうな顔が忘れられません。



天都山は、北海道網走市市街地の南西にある標高207メートルの山で、国の名勝に指定され、また網走国定公園に属しています。
山頂には展望台が設置され、網走湖や能取湖、オホーツク海、知床半島や斜里岳・海別岳等の知床連山まで望むことができます。展望台は無料で、展望台に隣接してオホーツク流氷館、天都山さくら公園があり、5月には約1000本のエゾヤマザクラで満開になります。


1988年に里帰りの途中に訪れましたが、オーナーが大病になり札幌の病院に入院したそうで、民宿は閉館していました。
とても素晴らしい景色と、オーナーの心遣いが多くの旅人に支持されていた、民宿「眺湖台」が閉館になったことは本当に残念です。

2004年にも訪れましたが、建物はまだ残っていました。
しかし周辺が様変わりし、刑務所の農園は大曲湖畔園地になり、旧網走刑務所作業農地であった80haの広大な大地を網走市が購入し、自然体験や市民と来訪者との交流の場として整備されていました。また、博物館網走監獄があり、旧網走刑務所の主要建築物の舎房、教誨堂、庁舎を移築して明治時代から使用されていた器物や歴史物を展示した施設が出来ていました。






食事処 大和路・奈良県御所市

国道24号線、御所駅前から五条方面に走りスーパーセンターオークワを過ぎたあたりから、風の森峠の登りになります。
登り始めてすぐに「大和路」の看板が見え右折し暫く走ると食事処 大和路があります。

料理の種類が多く麺類から握り寿司まで和食、洋食を食べることが出来、良心的な価格でボリュームのある料理が出てきます。

住所:奈良県御所市南郷857
電話:0745-66-1089
営業時間:10:00〜20:00
定休日:毎週木曜日














乗鞍高原の移り変わりと問題・長野県松本市

乗鞍高原にはかつてスキーで3軒の施設に宿泊しています。
鈴蘭地区にある「こだま山荘」「ロッジ白樺」「やまぶき」です。
このうち「こだま山荘」がリフト乗り場から少し離れています。

この画像は「ロッジ白樺」の部屋からの撮影で、昭和50年です。
当時温泉が引かれたばかりでした。


この画像は「やまぶき」の部屋からの撮影で、平成24年です


尚、これらの施設は現在でも営業しており温泉も引いています。
こだま山荘は「旅館こだま」と名を変えています。
ロッジ白樺は「なごみ湯白樺」と名を変えています。
やまぶきは「四季彩の宿 やまぶき」として営業しています。これらの施設に宿泊した当時はとてもよい印象の宿でした。

その後、他の施設も多く出来ました。
しかし、スキーブームも去り、スキー人口が大きく減少してからは、往時のにぎわいを失っています。
よほどのことが無い限り、リフト待ちもほとんどありません。
それに伴い、当時は100軒を越えた施設の数も廃業などで減少しています。

近年仕事で訪れましたが、約100軒あった施設で30軒ほどが無人になっていました。
2000年頃には42万人ほどの観光客がありましたが、最近では27万人までかなりのペースで落ち込んでいます。

複数の施設に話を聞きましたが、ほとんどがマイカー規制とスキーブームが終わった言い方をします。
はたしてそうでしょうか?

乗鞍高原には多種多様な施設が存在し、のりくら観光協会、乗鞍高原温泉旅館組合、乗鞍高原温泉民宿組合、乗鞍高原すずらん温泉組合などの組合が多くあります。
これらの組合の協調性はどうでしょう。
また、個々の施設が自分の施設に対しての集客しか考えず、他の施設の利用者が多いと面白くないとの感触を少なからず見受けられました。

乗鞍高原全体が一丸となり、乗鞍高原全体の集客率を上昇させることにより、地域の活性化につながります。
夏季にも利用しましたが、高原地帯で涼しく、森林の中を散策でき野鳥なども多く見ることが出来ます。しかし、営業している施設が少なく、食事にも影響がありました。

各地区ごとに散策コースを作り(既存の道でいいでしょう)乗鞍の風景に合う木で作った案内板とコースマップがあればと思います。
そのコースにある施設では、その施設独自の一品を考え、散策中に、ある施設では木の実などで作ったジュースを飲み、別の施設では木の実などのクッキーを食べ、歩きつかれたら足湯につかり、その先の施設ではソフトクリームを食べて数日を過ごす滞在型の提案なども考えられます。

食事についても、豪華な食事があってもいいでしょう。
しかし、乗鞍は山菜の宝庫、きのこも採れます。
田舎料理や地域に根ざした郷土料理を食したい都市部の人たちも多くいます。

乗鞍高原はとても素晴らしい場所です。ゆえに多くのオプションが考えられます。

この画像は、昭和50年の乗鞍高原スキー場です


昭和50年の乗鞍高原スキー場で、乗鞍岳が正面に見えています


この画像は、平成24年撮影の乗鞍岳です





昭和50年の北海道

釧網本線・磯分内駅
昭和4年8月15日開業の駅で、
撮影当時は駅員もいて雪印乳業磯分内工場まで専用線がありましたが、昭和57年に貨物取扱い廃止になり、昭和61年11月には無人駅になっています。
隣の標茶駅は標津線が分岐していましたが平成元年に廃止されました。
また、標茶駅から弟子屈駅(現・摩周駅)間はかつての釧路鉄道路盤が転用されています。
昭和50年の磯分内駅


平成25年の磯分内駅



釧路鉄道は硫黄山で産出される硫黄の輸送を目的とした鉄道で、北海道開拓の歴史でもありました。
明治5年、硫黄山で硫黄採掘が始まり、標茶に大規模な精錬所が建設されたこともあり、明治20年輸送のために硫黄鉱山専用鉄道の敷設が釧網本線標茶駅付近から跡佐登の区間で、釧路集治監の囚人により約7か月で建設されました。
当時は現在のような機械もなく、手作業の工事で過酷を極めました
その後、昭和4年8月15日に休止から33年後に開業した釧網本線標茶駅 と 弟子屈駅(現・摩周駅)間25.3kmのうち16.8kmに路盤が転用されています。

昭和50年硫黄山


昭和57年硫黄山


昭和57年硫黄山


昭和63年硫黄山



北海道の集治監は、囚人の数が増加し収容施設の増設と北海道の開拓を目的に徒刑、流刑、懲役刑12年以上の者を拘禁するため、樺戸集治監(月形)、空知集治監(三笠)、釧路集治監(標茶)、釧路監獄署網走外役所(網走)、北海道集治監十勝分監(帯広)に設置されました。

樺戸集治監は1881年開庁、1919年廃監になり廃止後旭川監獄が後継し、1889年には2365人収容され、主に上川道路、樺戸街道などの道路建設や月形水道建設に従事しました。

空知集治監は1882年開庁、1901年廃監になり、1890年には3248人収容され、主に幌内炭鉱労働に従事しました。

釧路監獄署網走外役所は1890年開庁、1897年一時廃監し現在は網走監獄
(網走刑務所)になり、北見道路などの道路建設やマッチ製造などに従事しました。

北海道集治監十勝分監は1895年農業監獄として開設され、1903年4月十勝監獄に、1922年十勝刑務所(現・帯広刑務所)になり、明治28年の記録によると囚人1,344人、職員206人、960万坪の広大な敷地を有していました。

釧路集治監は1885年開庁、1901年廃監になり廃止後網走分監が後継しました。
1894年には2285人収容され、硫黄山での鉱山採掘や道路、鉄道の建設、電話線敷設などに従事し、また、明治32年の記録によると、560万坪の広大な敷地の中に、庁舎1棟、官舎18棟、獄舎19棟、工場5棟、倉庫11棟が置かれていました。

廃止後は軍馬育成のため軍馬補充部川上支部として終戦までその業務に当たり、戦後から昭和32年まで標茶高等学校庁舎として使用されましたが、その後学校敷地内から現在地に移転復元し標茶町郷土館として利用されています。
標茶町郷土館には先史から近代の資料を展示し、二ツ山第1地点遺跡の石刃銃資料や多くの剥製と飯島コレクションと呼ばれる昆虫展示を見ることが出来ます。また建物は事務所として建築されたものです。

昭和50年釧路集治監(標茶町郷土館)


昭和50年標茶町郷土館収蔵品


昭和50年標茶町郷土館収蔵品


昭和50年標茶町郷土館収蔵品



標茶町郷土館の近くにある塘路湖は釧路湿原の一角にあり、海の後退による海跡湖です。また、塘路湖周辺は昭和62年に釧路湿原国立公園の特別地域で、鳥獣保護区に指定されました。

昭和50年国立公園に登録される前の塘路湖


昭和50年国立公園に登録される前の塘路湖



塘路湖がかつて海であった時代、縄文時代の遺跡もこの地域では多数発見されています。
昭和50年茅沼遺跡堅穴群


昭和50年茅沼遺跡堅穴群



昭和50年当時の釧網本線では、4両編成くらいの客車列車が多く走っていて、車内が木造でとても趣のある光景でしたが、現在では1両だけの気動車になり寂しさを感じます。

昭和50年客車列車


昭和50年客車の車内


平成25年気動車




環境省自然環境局長表彰されました

自然公園指導員の活動に対する功績が認められて、環境省自然環境局長表彰を受賞し、表彰状と功労記章を8月3日の伝達式で受け取りました。

特に何かをしたということも無く、普通のことをしただけなのに、このような賞をいただき大変光栄です。
この素晴らしい自然を後世に残すためにも、より一層の自然保護活動に係わりたいと思います。

自然公園指導員の殆どが都道府県推薦になりますが、私の場合は地方環境事務所推薦になります。












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