昭和の風景・伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮
昭和62年撮影
三重県伊勢市宇治館町







昭和の風景・伊勢神宮宇治橋

伊勢神宮宇治橋
昭和62年撮影
三重県伊勢市宇治館町




昭和の風景・伊勢志摩スカイライン朝熊山からの展望

伊勢志摩スカイライン朝熊山からの展望
昭和52年撮影
三重県伊勢市朝熊町

標高506mに駐車場と展望台があり
レストハウスではレストランが営業していましたが
現在ではレストラン棟は閉鎖し解体されています







昭和の風景・伊勢志摩スカイラインからの展望

伊勢志摩スカイラインからの展望
昭和52年撮影
三重県伊勢市朝熊町

昭和39年に開通した有料道路で
展望の良いことでも知られています




戦前の風景・高尾山登山口

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高尾山登山口
東京都八王子市
撮影は大正時代です







戦前の風景・紀州雲雀山伊藤が嶽

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

紀州雲雀山伊藤が嶽
和歌山県有田市
撮影は大正初期と思われます

中将姫ゆかりの地
継母の妬みにより中将姫に刺客の武士を送られるが
中将姫の人徳に深く心打たれ雲雀山の麓に草庵を開き
中将姫の身辺を守ったと伝えられ
武士の名は伊藤春時で後に僧侶となり得生と改めています







戦前の風景・紀伊熊野百景 那智山振ヶ瀬橋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

紀伊熊野百景 那智山振ヶ瀬橋
和歌山県那智勝浦町
撮影は明治から大正時代と思われます

振ヶ瀬橋という名前は
俗界と聖域とを振り分ける境の橋からきています








戦前の風景・屋島公園屋島淡古嶺より瀬戸内海の景勝

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

屋島公園屋島淡古嶺より瀬戸内海の景勝
香川県高松市
撮影は大正初期と思われます

明治30年に村雲尼が屋島を登山した際
源氏の武士や平家公達を偲んで談古嶺と命名







戦前の風景・鴛泊港登潤内ノ景

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

鴛泊港登潤内ノ景
北海道利尻島
撮影は昭和初期と思われます


撮影場所は
現在の栄町からペシ岬方面を写しています






昭和の風景・伊勢パールロード麻生の浦大橋

伊勢パールロード麻生の浦大橋
昭和52年撮影
三重県鳥羽市浦村町

パールロードは昭和51年
全線開通した有料道路で
現在は無料で通行出来ます







昭和の風景・阿蘇山中岳第1火口

阿蘇山中岳第1火口
昭和48年撮影
熊本県阿蘇市他

中岳は阿蘇山中央火口丘群のほぼ中央に位置し
最も活発な活動をしている火山で
標高1,506メートル
中岳には第1から第7までの火口があり
最近の80年間は最も北側の第1火口
のみ噴火しています












昭和の風景・阿蘇山中岳火口遊歩道

阿蘇山中岳火口遊歩道
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市他

標高1,506mの火山で
外輪山と複数のの中央火口丘から成り
外輪山は南北25km、東西18kmで
世界最大級のカルデラ地形です
当時はロープウエイか徒歩でしか行けませんでしたが
現在では車で火口近くまで行くことが出来ます






昭和の風景・阿蘇山中岳火口

阿蘇山中岳火口
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市他

標高1,506mの火山で
外輪山と複数のの中央火口丘から成り
世界最大級のカルデラ地形です
噴火時の災害対策として
退避壕が中岳火口の1km圏内に13箇所建てられています







客車の旅

今は急行も無くなり
旅の楽しみが少なくなりましたね
景色を見ながら
駅弁を列車で食べるのが好きでした
昭和50年の客車です





昭和の風景・阿蘇山ロープウエイ阿蘇山西駅

阿蘇山ロープウエイ阿蘇山西駅
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市黒川

阿蘇山ロープウェーは世界初の活火山に架けられた
阿蘇山西駅から火口西駅まで高低差108m
距離858mのロープウェーです
現在でも建物は入口がお洒落になったくらいで
ほとんど変わっていません




昭和の風景・阿蘇山

阿蘇山 
昭和45年撮影
熊本県熊本県阿蘇地方

阿蘇山は世界でも有数の大型カルデラと外輪山を形成し
平成21年に世界ジオパークに認定されています
噴火レベルの低い時には火口近くまで行け
噴火対策として退避壕が建てられています




昭和の風景・ホテル大観での食事風景

ホテル大観での食事風景
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市大字内牧

ホテル大観に修学旅行で宿泊した際の
夕食風景です
このホテル大観は現在
内牧温泉にある大観荘ではないかと思われます


昭和の風景・ホテル大観からの風景

ホテル大観からの風景
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市大字内牧

ホテル大観から見た風景です
このホテル大観は現在
内牧温泉にある大観荘ではないかと思われます



昭和の風景・ホテル大観

ホテル大観
昭和45年撮影
熊本県阿蘇市大字内牧

ホテル大観に修学旅行で宿泊した際の
ホテル外観です
このホテル大観は現在
内牧温泉にある大観荘ではないかと思われます



昭和の風景・ホテル青島館

ホテル青島館
昭和45年撮影
宮崎県宮崎市

修学旅行で青島に行った際に宿泊した
ホテル青島館
当時は修学旅行などで賑っていました
現在の状況を調べましたが
情報が無いために分かりませんでした





昭和の風景・へんば餅 旧宮川店

へんば餅旧宮川店
昭和62年撮影
三重県伊勢市西豊浜町

伊勢では赤福とならび有名な
へんば餅
平らに潰した形で両面に焼き色があり
餅の中はこしあんが入っています
この建物は平成21年に建て替えられました




昭和の風景・旧武庫川第一橋梁と客車列車

旧武庫川第一橋梁と客車列車
昭和55年撮影
兵庫県西宮市生瀬町

福知山線は1986年(昭和61年)に
複線電化により生瀬-道場駅間が現在の線路に付け替えられ
旧線は廃止されました
この写真では右奥に建設中の新線が見えています




昭和の風景・旧和歌山機関区のC57と客車

旧和歌山(紀和)機関区のC57と客車
昭和44年撮影
和歌山市

旧紀和駅はかつての和歌山駅で大きな駅舎があり
広大な機関区がありました
C57蒸気機関車と旧型客車が見えます




昭和の風景・旧国鉄大阪駅周辺

旧国鉄大阪駅周辺
昭和55年撮影
大阪市北区

写真の列車は急行 丹波
当時は気動車でしたが
昭和61年に福知山線の電化と共に廃止され
電車特急の北近畿になりました



昭和の風景・旧国鉄加島付近01

旧国鉄加島付近
昭和55年撮影
大阪市淀川区



昭和の風景・えびの高原入口看板


えびの高原
昭和45年撮影
宮崎県えびの市

標高は約1,200mあり
年間約80万人が訪れる観光地で
撮影当時も修学旅行や新婚旅行など
多くの人で賑っていました



戦前の風景・伏見稲荷拝殿

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

伏見稲荷拝殿
京都市
撮影は大正末期から昭和初期と思われます




戦前の風景・内宮前通リ

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

内宮前通リ
三重県伊勢市
撮影は大正中期から昭和初期と思われます




昭和の風景・旧和歌山機関区の給炭塔と蒸気機関車

旧和歌山(紀和)機関区の給炭塔と蒸気機関車
昭和44年撮影
和歌山市

紀和駅はかつての和歌山駅で大きな駅舎があり
広大な機関区がありましたが
かなり以前に新在家に移転しました
昭和43年には和歌山駅から紀和駅に改称され
平成20年に高架化され駅舎も小さくなりました




昭和の風景・宮崎こどもの国01

宮崎こどもの国
昭和45年撮影
宮崎県宮崎市

昭和14年に開園し現在でも営業しています
隣接して青島や鬼の洗濯板があり
当時は修学旅行の定番コースで
現在は総合リゾート地として賑っています





昭和の風景・北海道赤平市03

住友赤平炭鉱立坑建設中
昭和37年撮影
北海道赤平市 旧弥栄町

昭和38年に完成した立坑建設中の写真です
手前右は住友赤平病院で
中央はそのグランドです
小さいころはここで毎日のように遊んでいました





昭和の風景・北海道白金温泉01

白金温泉付近の夏
昭和35年撮影
北海道上川郡美瑛町白金

白金温泉への道は大正15年の十勝岳噴火の泥流後に自生したシラカバの林が続いていることから白樺街道と呼ばれています




昭和の風景・北海道然別湖01

然別湖
昭和42年撮影
北海道河東郡鹿追町・上士幌町

北海道の湖では最も標高の高い場所にあり
当時は2食付で宿泊することが出来た
山田温泉に宿泊しました




昭和の風景・北海道赤平市02

昭和36年撮影
住友赤平病院裏炭坑住宅から
北海道赤平市 旧弥栄町

当時は写真手前に4階建ての炭鉱住宅があり
写真左にはグラウンドがあり
毎日のようにそこで遊んでいました





昭和の風景・白糸の滝

白糸の滝
昭和45年撮影
静岡県富士宮市

湧水による無数の滝が並び崖から絹糸を垂らしたように流れる様子からこの名ついています




昭和の風景・湯の児温泉

湯の児温泉
昭和48年撮影
熊本県水俣市

不知火海の海岸線沿いにホテルや旅館が立ち並び、とても夕日が綺麗でした。






昭和の風景・東京国際空港

東京国際空港
昭和45年撮影
東京都大田区

当時主流の航空機、ダグラスDC8やボーイング727が見えています






戦前の風景・熱海温泉 清快楼古屋旅館

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

熱海温泉 清快楼古屋旅館
静岡県熱海市
撮影は大正末期から昭和初期と思われます




戦前の風景・柴山潟の漁舟

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

片山津名勝 柴山潟の漁舟
石川県加賀市
撮影は大正から昭和初期と思われます




昭和の風景・天草パールラインフェリー

天草パールラインフェリーと松島商船
昭和45年撮影
熊本県

八代港発着のフェリーでしたが現在は廃止されています
撮影当時は多くのバスや自動車などの車両と乗船客で賑っていました。








昭和の風景・清里高原

清里高原
昭和54年撮影
山梨県北杜市高根町清里

1970年代から80年代にかけて清里ブームが起き、押し寄せる観光客目当てのペンションやタレントショップその他店舗が乱立しましたが、平成時代に入る頃からブームが沈静化し、清里駅周辺店舗やペンションの閉鎖が相次ぎました。
ピーク時には100軒を超えるペンションがありましたが、現在では数十件ほどしかなく人影も少なく廃墟が目立ちます。











昭和の風景・室生寺

室生寺
昭和52年撮影
奈良県宇陀市室生

かつては室生村でしたが平成18年に大宇陀町・菟田野町・榛原町と合併して宇陀市になりました
真言宗室生寺派大本山の寺院です








昭和の風景・鹿児島磯庭園

鹿児島磯庭園
昭和45年撮影
鹿児島県鹿児島市吉野町

薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園で正式名称は仙巌園 附 花倉御仮屋庭園といい当時は修学旅行の定番コースで、現在でも多くの観光客で賑っています。








昭和の風景・北海道 旧道立滝川畜産試験場

旧道立滝川畜産試験場
昭和37年撮影
北海道滝川市

当時は羊が沢山いて公園もあり
家族連れが弁当を持って
賑やかでした




戦前の風景・竹生島全景

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

竹生島全景
滋賀県長浜市早崎町
撮影は昭和初期と思われます

奈良時代から信仰の対象になっている島です




戦前の風景・山中温泉蟋蟀橋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

加賀山中温泉蟋蟀橋
石川県加賀市
撮影は明治後期になります




戦前の風景・山中温泉葦迺湯

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

加賀山中温泉浴室 葦迺湯
石川県加賀市
撮影は大正時代と思われます

かつては山中町でしたが平成17年に加賀市と山中町が合併して加賀市になりました




戦前の風景・三野瀬 高塚公園

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高塚公園頂上の一部
三重県三野瀬村三浦(現 紀北町)
撮影は大正末期から昭和初期と思われます




昭和の風景・赤平市開発前風景

北海道赤平市開発前風景
昭和13年撮影
北海道赤平市住友赤平炭砿立坑付近

住友赤平炭坑の開発前の農村風景




昭和の風景・堺泉北港

堺泉北港
昭和60年撮影
大阪府泉大津市








昭和の風景・旧千歳空港

旧千歳空港
昭和39年撮影
北海道千歳市

かつての千歳空港で昭和63年に新千歳空港が隣接して開港しています




昭和の風景・下北山村池神社

下北山村池神社
昭和37年撮影
奈良県下北山村

マラソン大会で池神社前を走っています。
現在の写真と比べてみました
当時は地道で植生も違うのが分かります






戦前の風景・保津川急流筏流し

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

京都・保津川急流筏流し

かつては木材を筏で運んでいました
昭和初期に撮影したものと思われます




戦前の風景・別府 海地獄

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

別府 海地獄
大分県別府市御幸
撮影は大正から昭和初期と思われます

1200年ほど前に鶴見岳の爆発によって誕生したとされ硫酸鉄によってコバルトブルーで、温度は98度になります





昭和の風景・北海道洞爺湖

北海道洞爺湖
昭和41年撮影
北海道虻田郡洞爺湖町

撮影当時にはすでに温泉観光地として大勢の観光客で賑い、道内小学校では修学旅行の定番コースになっていました
当時は洞爺村でしたが平成18年に虻田町と合併により洞爺湖町になりました





昭和の風景・北海道赤平市

北海道赤平市
昭和38年撮影

赤平山からの風景で炭鉱住宅や住友赤平小学校
空知川などが見えます
今は亡き父と何度となく登りました




昭和の風景・旧国鉄橋本駅

旧国鉄橋本駅
昭和44年撮影
和歌山県橋本市古佐田

旧国鉄の和歌山線と南海電鉄の高野線が乗り入れ、南海は単線でした
当時は改札を出ずに乗換が可能でしたが現在は改札が別になっています
また、現在は駅前も様変わりしています









戦前の風景・湯崎名勝 白良浜より湯崎


業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

湯崎名勝 白良浜より湯崎
和歌山県西牟婁郡白浜町
撮影は大正末期から昭和初期と思われます





戦前の風景・御在所岳より鎌ヶ岳

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

御在所岳より鎌ヶ岳
三重県三重郡菰野町
撮影は大正末期から昭和初期と思われます

鎌ヶ岳は
冠ヶ嶽とも呼ばれ山全体が花崗岩からなり
標高1,161mで均整のとれた三角形の形をしています





戦前の風景・飯坂温泉

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

飯坂温泉
福島県福島市飯坂町
昭和初期の撮影と思われます

鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられ
60棟以上の旅館が立ち並んでいます
また、9ヶ所の共同浴場があります




戦前の風景・大和大峰山 裏行場元結祓

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

大和大峰山 裏行場元結祓
奈良県天川村
撮影は昭和初期になります



戦前の風景・寂光院本堂

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

京都大原・寂光院本堂

昭和初期に撮影したものと思われます




昭和の風景・神野山

神野山・昭和63年撮影
奈良県山添村

古代の信仰対象の盤座と伝わる
多数の巨岩が横たわる鍋倉渓

山頂付近からの紅葉です







戦前の風景・三尾風景 槇の尾寺

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

三尾風景 槇の尾寺
京都市右京区梅ケ畑槙尾町
撮影は大正末期と思われます




昭和の風景・十津川村

十津川村 昭和49年撮影
奈良県十津川村

当時の奈良交通新宮行特急バスは奈良市大仏前が始発で、国道168号線は一部未舗装区間でしたが現在では新宮行のバスは八木始発になり、国道も改良が進み多くのトンネルになっています

写っている車
懐かしい車ですね






前の風景・高野山女人堂

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高野山女人堂
和歌山県伊都郡高野町
大正時代の撮影と思われます

大日如来を祀り女人禁制の時代には女性はここまでしか入れませんでした





昭和の風景・十津川村

十津川村 昭和47年撮影
奈良県十津川村

当時の奈良交通新宮行特急バスは奈良市大仏前が始発でした
谷瀬の吊り橋付近の国道が狭く対向するのが大変でしたが今はトンネルで抜けています

人力ロープウェイの野猿
当時は上湯温泉付近など数か所にありましたが、現在ではホテル昴付近の2か所だけになっています













戦前の風景・高野山ケーブルカー

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高野山ケーブルカー
和歌山県伊都郡高野町
昭和5年から10年頃の撮影と思われます

昭和5年に高野山電気鉄道によって極楽橋と高野山の間が開業しました





昭和の風景・高野山

高野山 昭和45年撮影
和歌山県伊都郡高野町

撮影した場所を忘れた為に
高野山に詳しい方にお聞きしたら
場所は奥の院で石仏は撤去され
今は見ることが出来無いそうです





戦前の風景・高野山極楽橋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高野山極楽橋
和歌山県伊都郡高野町
明治から大正時代の撮影と思われます
橋の欄干には極楽橋と書かれていますが
川の形状などから不明な点もあり継続調査中です

不動坂を登り高野山までの参道になっています




昭和の風景・熊本城

熊本城 昭和48年撮影
熊本県熊本市中央区

別名「銀杏城」
加藤清正が改築した城で、その後江戸時代は熊本藩細川家の居城でした
現在の天守は1960年の再建ですが宇土櫓などの現存する櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されています

2016年4月の熊本地震では石垣や宇土櫓などが被害を受けています

撮影当時は修学旅行の定番コースになっていました




戦前の風景・山田ホテル 宇仁館別館藤屋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

山田ホテル 宇仁館別館藤屋
三重県伊勢市岩渕
撮影は大正14年から昭和9年の間になります

宇仁館は多くの旅館を買収し、その中に「藤屋」もありました。
藤屋はかつては妙見町「現在の尾上町」にあり、木造三階楼で大正十四年建築の堂々たる旅館でしたが、昭和9年に焼失して建て替えられていますが現在はありません。

伊勢市と称する以前は宇治山田市と称しており、内宮周辺が宇治、外宮周辺が山田に当たります。



昭和の風景・阿蘇山火口

阿蘇山火口 昭和48年撮影
熊本県阿蘇市

2007年12月から噴火警戒レベルを導入する以前の撮影です
当時はロープウエイで火口の近くまで行け多くの観光客で賑っていましたが、投稿現在は中岳第一火口から概ね2kmの範囲は立ち入り禁止になっています








戦前の風景・伊勢朝熊登山鐡道

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

伊勢朝熊登山鐡道
三重県伊勢市
撮影は昭和初期と思われます

大正14年に朝熊登山鉄道によりケーブルカーが開通し、開通時には東洋一だったケーブルカーは第二次世界大戦中の昭和19年に線路などが軍に軍需物資として徴収され休止になり、再開されることなく昭和37年廃線になりました。




昭和の風景・坂出八幡神社

坂出八幡神社 昭和36年撮影
坂出市八幡町

坂出駅の西、宇多津町との境近くに位置し、創建は古く正平年間に細川頼之が細川清氏と高屋城で戦い大勝し、凱旋の途次、角山の麓に祠を建て八幡神を祀ったのが始まりと伝えられています。




戦前の風景・札幌市街の鳥瞰図


業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

札幌市街の鳥瞰図
北海道札幌市
大正から昭和初期に撮影したものと思われます




昭和の風景・保津峡

保津峡 昭和45年撮影
京都市右京区嵯峨


保津峡は京都府亀岡市から京都市右京区嵐山の渡月橋に至る保津川(桂川)の渓谷で、川下りや観光トロッコ列車で知られる景勝地です。

平成元年、山陰本線の輸送力改善の一環として、嵯峨駅・馬堀駅間の保津川沿い屈曲部をトンネルで直線状に短絡する線路付け替え工事をし、現在は旧線を利用し嵯峨野観光線のトロッコ列車が運行しています。

撮影当時は山陰本線付け替え前で、保津峡駅は多くのハイカーたちで賑っていました。



戦前の風景・夕張町本町三丁目

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

夕張町本町三丁目
北海道夕張市
撮影は大正7年2月から昭和18年3月の間になります




昭和の風景・奈良須池と琴電

奈良須池と琴電 昭和36年撮影
香川県高松市岡本町

琴電の岡本駅南に位置し、1670年に高松藩前田与三兵衛によって築造され満濃池,神内池,三谷三郎池に次ぐ規模の池であることから,奈良須四郎と呼ばれます。
築造には4つの溜池を改修して1つの池にし、現在は工業用水にも使われています。

奈良須池と琴電



戦前の風景・宇治温泉亀石楼

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

宇治温泉亀石楼
京都府宇治市
明治後期から大正に撮影されたものと思われます



昭和の風景・金剛山

金剛山 昭和47年撮影
大阪府南河内郡千早赤阪村

かつては高天山と言われた金剛山は千早赤阪からロープウエイで気軽に登山出来、宿泊施設もあります。

標高1,125mの最高峰は葛木岳で御所市の葛木神社の本殿裏に位置し神域になっていることから立ち入りが出来ません。
この為に国見城跡の広場が実質の山頂扱いされています。

約1,300年前に役行者が修行したことでも知られ、山頂付近に役行者が開いたとされる転法輪寺があり、信仰の山にもなっています。

撮影当時も多くの登山者で賑っていました。



千早赤阪ロープウエイ山麓駅付近


金剛山から奈良盆地方面


金剛山から大阪方面



戦前の風景・猿沢池と南円堂

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

猿沢池と南円堂
奈良県奈良市
大正末期の撮影と思われます

大正末期と最近の写真を比較してみました

右側に建物が建ち、植生が多少変化しているくらいでそれほど大きくは変わっていません






戦前の風景・湯崎名勝 網不知の全景

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

湯崎名勝 網不知の全景
和歌山県白浜町
撮影は昭和初期と思われます





戦前の風景・湯崎名勝 岩間の湯

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

湯崎名勝 岩間の湯
和歌山県白浜町
撮影は大正末期と思われます


白良浜土地建物が大正時代に大規模開発をし建設した、公衆浴場の不老湯と貸切家族湯の岩間湯が見えています。




戦前の風景・湯の峰温泉

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

湯の峰温泉
和歌山県田辺市本宮町
大正末期から昭和初期の撮影と思われます

あづまや旅館からの撮影で
2枚目の写真は現在の湯の峰温泉です






戦前の風景・電鐵洞爺湖驛

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

電鐵洞爺湖驛
北海道洞爺湖町(旧虻田町)
昭和4年から16年の撮影です


かつて存在した洞爺湖電気鉄道で
昭和4年営業運転を開始し
昭和16年に廃止されました





戦前の風景・大野寺宇陀川清流

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

大野寺宇陀川清流
奈良県宇陀市室生大野
昭和初期に撮影したものと思われます




戦前の風景・大鳴門潮流 兆子ノ口

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

大鳴門潮流 兆子ノ口
徳島県勝浦郡勝浦町坂本銚子ノ口
撮影は大正末期です

現在は昭和60年開通した長さ1,629mの吊り橋
大鳴門橋が架かっていて車で渦潮の上を通過できます





戦前の風景・新和歌の浦 望海楼全景


業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

新和歌の浦 望海楼全景
和歌山県和歌山市
大正8年から昭和初期に撮影したものと思われます




戦前の風景・支笏湖より樽前山望む

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

支笏湖より樽前山望む
北海道千歳市
大正末期から昭和初期に撮影したものと思われます




戦前の風景・高野山御廟橋より萬燈籠堂を望む


業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

高野山御廟橋御廟橋より萬燈籠堂を望む
和歌山県高野町
昭和初期に撮影したものと思われます




昭和の風景・栗林公園

栗林公園 昭和47年撮影
香川県高松市

16世紀末頃から幾度に渡る造営をへて
1745年に松平頼恭の時代に完成しました
昭和28年に国の特別名勝に指定されています












戦前の風景・吉野山仁王門

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

奈良県吉野町
吉野山仁王門
撮影は大正末期と思われます

同じ図案で数種類発行されています





昭和の風景・長崎の夜景

長崎の夜景・昭和45年撮影
長崎県長崎市

日本三大夜景の一つとして知られ
長崎港を山々が取り囲む地形に光り輝く夜景は時間のたつのも忘れるほどです




戦前の風景・猿沢池と南円堂

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

猿沢池と南円堂
奈良県奈良市
大正末期の撮影と思われます

大正末期と最近の写真を比較してみました

右側に建物が建ち、植生が多少変化しているくらいでそれほど大きくは変わっていません

大正末期


最近の写真



昭和の風景・阿蘇山

阿蘇山 昭和45年撮影
熊本県阿蘇地方

阿蘇山は世界でも有数の大型カルデラと外輪山を形成し
平成21年に世界ジオパークに認定されています
噴火レベルの低い時には火口近くまで行け
噴火対策として退避壕が建てられています

阿蘇山 昭和45年撮影


阿蘇山 昭和45年撮影


昭和45年撮影 阿蘇山ロープウエイ阿蘇山西駅





昭和の風景・やまなみハイウエイ

熊本県
やまなみハイウエイ 昭和45年撮影


大分県水分峠と阿蘇市一の宮地区の区間は
昭和39年に日本道路公団の有料道路として供用開始され
平成6年に料金徴収期間満了に伴い無料開放されました
日本百名道の一つになっています





戦前の風景・祖谷かづら橋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

祖谷かづら橋
徳島県三好市西祖谷山村善徳
昭和初期の撮影と思われます


現在は国指定重要有形民俗文化財に登録され
3年毎に架け替えが行なわれます



昭和の風景・新幹線0系

新幹線0系
昭和48年撮影
新大阪駅


国鉄時代の昭和39年新幹線開業時から
昭和61年まで改良を重ね計3,216両が製造され
平成20年に0系の営業運転を終了しました





戦前の風景・美保関エビス島

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

島根県松江市(2005年までは美保関町)
美保関エビス島

撮影は大正時代と思われます




昭和の風景・北竜湖ファミリースキー場

北竜湖ファミリースキー場 昭和51年撮影
長野県飯山市大字瑞穂


北信濃三大修験道場のひとつで国の重要文化財に指定されている小菅神社奥社がある小菅山の山麓に位置する北竜湖に、昭和37年文化北竜湖山荘と北竜湖スキー場が開設され、現在では文化北竜湖山荘が文化北竜館として温泉、本館22室、別館32室の客室や体育館、大小会議室等がある施設に生まれ変わりました。

スキー場は北竜湖ファミリースキー場が、いいやま北竜温泉ファミリースキー場と名前を変えましたが、コース等は撮影当時と殆ど変りません。

スキー場の上部に立つと妙高山を始めとする北信五岳が一望でき、眼下にはハート型の北竜湖が見え、反対には野沢温泉スキー場が見えます。


撮影当時はスキーブームで、野沢温泉スキー場の混雑を避けるために訪れるスキーヤーもいました。

現在はスキーブームも去り、この近辺では信濃平スキー場、北飯山スキー場、飯山国際スキー場等が閉鎖されています。

北竜湖スキー場から千曲川


北竜湖スキー場から信濃平スキー場方面


野沢スキー場方面


北竜湖と北竜湖スキー場


眼下に見える北竜湖





戦前の風景・寝覚の床

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

長野県上松町
寝覚の床
昭和初期の撮影と思われます

大正12年国の名勝に指定され
浦島太郎伝説が残っています
花崗岩地帯を木曽川の流れが削り取った地形です





昭和の風景・大阪狭山市(旧狭山町)

大阪狭山市 昭和45年撮影
大阪府 旧狭山町

狭山ニュータウン造成中に丘陵から撮影


大阪狭山市は大阪市や堺市などのベッドタウンで、市南部には狭山ニュータウンがあり、市の中央に日本最古のダム式ため池と言われる狭山池があります。

撮影当時は狭山町でしたが、昭和62年に大阪狭山市に市制施行して現在に至っています。尚、条例によって市内にパチンコ店が一軒もない市でもあります。


狭山ニュータウンは昭和42年に南海電気鉄道が主体となって開発され、昭和44年から入居を開始し、撮影当時は開発が進行中で、丘陵の上から狭山町を一望することが出来て、夕日がとても綺麗でした。


昭和45年と言えば
早川電機工業がシャープに社名変更
日本万国博覧会開幕
日本航空機よど号ハイジャック事件
キヤノンが国産初のコピー機を発売
ケンタッキー・フライドチキンの日本第1号店が開店
菅原洋一 今日でお別れ
ベッツィ&クリス 白い色は恋人の色
渚ゆう子 京都の恋
辺見マリ 経験
等がありました

















戦前の風景・かまど地獄

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

大分県別府市
かまど地獄


大正末期から昭和初期の間に撮影したものだと思われます。




昭和の風景・天橋立と廻旋橋

天橋立と廻旋橋 昭和51年撮影
京都府宮津市


天橋立は宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州で、全長3.6キロメートルで幅は20メートルから170メートルあり、砂州には自然に成長した松林が広がりその中を府道天の橋立線が走り散策路になっています。
また、日本の道100選」にも選定され多くの観光客で賑います。


天橋立と文殊堂のある間には水路がありその間を廻旋橋が繋いでいます。
廻旋橋は橋の中央部分が90度回転する可動橋で大正12年に人力で動く橋が完成し、昭和35年から現在の電動式になり、大型の船を通すたびに橋を回転させます。


撮影当時も修学旅行や観光で多くの人が訪れていました。


1976年と言えば
軽自動車が360ccから550ccになる
後楽園球場に日本初の人工芝が登場
アップルコンピュータ設立
日清食品が日清焼そばU.F.O.発売。
ピンク・レディー ペッパー警部
日本ビクターがVHSビデオテープレコーダを発売
キャンディーズ 春一番
桜田淳子 夏にご用心
イルカ なごり雪
等がありました。






戦前の風景・和倉温泉元湯

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

石川県七尾市
和倉温泉元湯

元湯となっていますが、総湯だと思います

総湯は現在が7代目になり、絵葉書の建物は初代と思われ、明治13年から昭和10年の間に撮影したものだと思われます。




昭和の風景・奈良市西ノ京

西ノ京 昭和63年撮影
奈良市西ノ京

西ノ京大池は正式名称を勝間田池といい
水面の先に薬師寺の塔、若草山などの山並みを望むことができる撮影ポイントとして有名で、特に毎年1月に行われる若草山の山焼きの日には大勢のカメラマンが押し寄せます。

大池からの風景は四季どれをとっても美しく、特に朝焼けに浮かぶ薬師寺がお気に入りで当時はよく通いました。
また、冬季には若草山に積もった雪と薬師寺も素敵な風景です。

撮影当時でも若草山の山焼きの日は多くのカメラマンが押し寄せていましたが、その他の日は殆ど人もいなく静けさの中撮影できました。

朝焼けの若草山と薬師寺






雪が積もった若草山と薬師寺


大池から見た薬師寺と若草山



戦前の風景・十和田湖

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です


十和田湖
青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町

撮影は昭和初期と思われます




昭和の風景・大阪南港フェリー埠頭

大阪南港フェリー埠頭 昭和51年撮影
大阪市住之江区


弁天埠頭に代わるフェリーターミナルとして造成し、昭和46年に開業したフェリーターミナルで、愛媛県および九州各地へのフェリー航路が乗り入れていて現在は四国オレンジフェリー、名門大洋フェリーが利用するのみです。
また、同じ南港からはコスモフェリーターミナルから別府行のフェリーサンフラワー、かもめフェリーターミナルからは志布志行のフェリーサンフラワーが運航しています。


撮影当時は多くのフェリー会社が運航し名門カ−フェリ−、大洋フェリ−、広島グリーンフェリー、大阪高知特急フェリーなどがあり、賑わいを見せていました。

時代が変わり、原油高や本州と四国間の橋が出来たこともあって、
関西汽船・大阪 - 高松、松山、別府、沖縄航路、
広島グリーンフェリー・大阪 - 広島航路、
日本カーフェリー・大阪 - 宮崎航路
大阪高知特急フェリー・大阪 - 高知航路、
名門カーフェリー・大阪 - 新門司航路
大洋フェリー・大阪 - 苅田航路、
共同汽船・大阪 - 徳島、小松島航路
徳島阪神フェリー・大阪 - 徳島航路
沖縄カーフェリー・大阪 - 沖縄航路
セントラルフェリー・大阪 - 川崎航路
日本高速フェリー・大阪 - 鹿児島航路
室戸汽船・大阪 - 甲浦 - あしずり航路
等が廃止されたり合併したりしました。

大阪高知特急フェリー・フェリーなにわ


大洋フェリ−・ぺがさす


大阪南港





戦前の風景・日景温泉

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

秋田県大館市・日景温泉

撮影は明治から大正と思われます


日景弁吉によって温泉宿が開業し
創業者の名前から日景温泉になりました

施設の老朽化による改修費用の捻出ができず
2014年8月で営業を終了し
経営者が変わり再開するようです




昭和の風景・南海電鉄金剛駅付近

南海電鉄金剛駅付近 昭和45年撮影
大阪府 旧狭山町・現在は大阪狭山市


金剛駅は大阪狭山市にあり、狭山ニュータウンおよび金剛ニュータウンの玄関口になっています。


撮影当時は狭山町でしたが、昭和62年に大阪狭山市に市制施行して現在に至っています。また当時の金剛駅は準急までしか停車しませんでしたが、平成4年から特急・急行が停車するようになりました。


狭山ニュータウンは昭和42年に南海電気鉄道が主体となって開発され、昭和44年から入居を開始し、撮影当時は開発が進行中で、駅の周辺も田や畑が広がり長閑な風景でしたが、現在では家屋が立ち並び当時の面影は見られません。




戦前の風景・菰野湯山温泉ノ景


業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

三重県三重郡菰野町

菰野湯山温泉ノ景


撮影は大正時代と思われます

御在所岳の山上まで、昭和34年に完成したロープウェイが運行しており、夏場は避暑地としても賑わいを見せます。

2枚目の画像は現在の湯の山温泉です







昭和の風景・青島 鬼の洗濯板

青島 鬼の洗濯板 昭和47年撮影
宮崎県宮崎市

青島は周囲860m、高さ約6mの島で、対岸は青島海岸になり弥生橋で結ばれています。

青島の周囲は階段状の岩場になっていて、これは砂岩と泥岩が交互に重なった地層の山が沈降し波に侵食された後に隆起して形成され、地層が緩やかな傾斜になっていることから階段状に侵食されて、大きな洗濯板に見えることから鬼の洗濯板と呼ばれます。

昭和9年に青島の隆起海床と奇形波蝕痕として国の天然記念物に指定されました

撮影当時は全国からの修学旅行や観光客等で賑い、現在でも青島ビーチなど南国気分を味わえることから多くの人々が訪れています。








戦前の風景・湯の山温泉 杉屋旅館本館

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

三重県
湯の山温泉 杉屋旅館本館

撮影は大正初期と思われます



昭和の風景・西武吾野駅

埼玉県飯能市
西武吾野駅 昭和42年撮影

昭和4年開業の駅で
平成9年現在の駅舎に建て替えられました

昭和44年に西武秩父線が開業し
西武池袋線の終点でしたが
西武秩父線の起点にもなりました


当時は顔振峠や子の権現方面のハイキング
学校の遠足などで賑わっていました





戦前の風景・鳥羽日和山の眺望

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

三重県・鳥羽日和山の眺望

撮影は大正から昭和初期と思われ
日和山と書いて「ひよりやま」と言います
かつてはエレベータがあり賑わっていましたが
現在は訪れる人も少なく寂しい雰囲気が漂います



昭和の風景・飯山市小菅の里

小菅の里 昭和51年撮影
長野県飯山市大字瑞穂小菅区

北信濃三大修験道場のひとつで国の重要文化財に指定されている小菅神社奥社がある小菅山の山麓に位置し、撮影当時は小菅にある民宿に長期間宿泊し、北竜湖ファミリースキー場や野沢温泉スキー場でスキーをしていました。

この頃はスキーブームで、野沢温泉スキー場のリフト待ちが1時間は普通で、3時間待ちなどもあり、混雑を避けるために北竜湖ファミリースキー場で滑ることが多くありました。

小菅の里には歴史的建造物が多く、小菅神社を中心に形成されたようです。

小菅神社の由来は修験道の祖・役小角が小菅山に魅かれ、白鳳8年(680年)に小菅山を開山し、大同年間(806〜810年)に坂上田村麻呂が八所権現本宮や加耶吉利堂を再建し、修験寺院・小菅山元隆寺を創建したのが始まりとされています。


後鎌倉時代に元隆寺の宮社坊中寺観の再建、奥社内の宮殿の建立や桐竹鳳凰文透彫奥社脇立二面が制作されています。


本殿と附属宮殿は室町時代中期で、昭和39年に国の重要文化財に指定され、平成26年には小菅の里及び小菅山の文化的景観が国の重要文化的景観に選定されました。


飯山市の隣にある信州中野では、土人形の里として異なる二つの土人形を、郷土玩具 中野土人形と呼び、日本土人形資料館もあります。

二つの土人形は、江戸時代末期から継承され伏見人形を原型としたものが多く、主に縁起物や風俗物が作られている中野人形と、明治時代に三河の瓦職人の指導により創始され歌舞伎を題材とした人形を中心に制作している立ヶ花土人形になります


撮影した写真の土雛はかなり古いものもあり、位置的にも中野土人形の可能性もあります。







戦前の風景・金華山及山頂天守閣

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

岐阜県・金華山及山頂天守閣

かつての岐阜城で
慶長6年徳川家康により岐阜城は廃城とされ
明治43年 山上に復興天守が建設されましたが
昭和18年に失火により焼失しました

大正4年から昭和18年に撮影したものです



昭和の風景・奈良県神野山

神野山・昭和63年撮影
奈良県山添村

撮影は秋の風景ですが
春のツツジも有名です

周辺にはめえめえ牧場や
古代の信仰対象の盤座と伝わる
多数の巨岩が横たわる鍋倉渓
森林科学館などがあります

また現在では
星が綺麗に見えることでも知られ
多くの人が訪れています











戦前の風景・三重県尾鷲港

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

三重県 尾鷲港

撮影は昭和初期と思われます

2枚目の写真は最近の尾鷲港で
高い防波堤が出来ています







昭和の風景・昭和50年代の硫黄山

北海道弟子屈にあるアサトヌプリ
別名 硫黄山と呼ばれます


標高512mの活火山で、今でも大小合わせて1,500ヶ所以上の噴気孔から火山性ガスを含んだ水蒸気が上っていますが、このガスに硫黄成分が含まれているので少し離れていても硫黄の匂いがしてきます。
また、噴気孔が黄色になっているのは結晶化した硫黄の成分が付着しているためです。


明治初期、マッチや火薬などの原料に使うために硫黄の採掘が始まり、このことがきっかけとなり川湯を中心とした囚人による開拓が本格化し、北海道で2番目になる鉄道が敷かれ硫黄の輸送を行いました。
しかし、昭和38年に硫黄の需要が減少したこともあり採掘が終了します。


その後、硫黄山を熱源とした硫黄泉を利用した湯治場として注目され現在に至っています。
川湯温泉は非常に浅い泉脈で地下数十mを流れ、pHは2前後の強酸性温泉です。


硫黄山の蒸気で蒸している蒸玉子がとても美味しく病み付きになりますが、現在では規制が厳しく怖いおにいさんの収入源とかで販売していないようです。

代わりにレストハウスで販売していますが、こちらは温泉で茹でる温泉玉子のために風味が今一つで、蒸玉子のほうが硫黄の蒸気で黒い色をしていてはるかに美味しく、体制を変えて復活してほしいと思います。

これも一つの観光のあり方で風物でもあり、地域の振興として活用できるとは思いますが。














戦前の風景・後楽園中之島釣殿

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

岡山県・後楽園中之島釣殿

撮影は大正末期と思われます




昭和の風景・宮崎 サボテン公園

サボテン公園・昭和47年撮影

宮崎県にあったサボテン公園は
昭和12年に開園し平成17年閉園しました

当初はサボテン村でしたが
昭和26年にサボテン公園として開園しています

約50万坪の広大な敷地に約500種類
130万本の多種多様の亜熱帯植物乾燥性植物類が植栽され
スロープカーやスロープコンベアを完備し
園内のレストランではサボテンステーキが名物でした


撮影当時は遠足や修学旅行の定番ポイントで
かなりの賑わいがありました





戦前の風景・菊屋旅館

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

茨城県水戸 菊屋旅館

奥久慈温泉郷・大子温泉にあった菊屋旅館と思われますが、現在は閉館しています



昭和の風景・久須夜ヶ岳エンゼルライン

久須夜ヶ岳エンゼルライン 昭和58年撮影
福井県小浜市

久須夜ケ岳頂上まで続く10.5kmの観光道路で
若狭湾と小浜湾を眼下に収め
越前岬や遠く丹後半島まで望むことが出来ます

平成14年に無料化されましたが
現在の展望駐車場は車も少なく
店などもありませんので
三方五湖レインボーラインよりも静かで
落ち着いて風景を見ることが出来ますが
撮影当時はかなりの車が走っていました













戦前の風景・温海温泉表町通り

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

山形県・温海温泉表町通り

撮影は大正初期と思われ

現在はあつみ温泉と書くことが多いです

開湯は約1300年前とされ
川から湧出した温泉が河口に流れ
海を温かくしたことが温泉名の由来となっています





懐かしいペナント

ペナント

かつては何処の観光地でも店に並んでいましたが
今では見ることがありません

ところが
那智勝浦町では
今でも売っている店があります

私も小さいころ沢山持っていましたが
いつの間にか無くなっていました。







戦前の風景・膳所坂本屋

業務上、資料として収集した戦前の絵葉書です

滋賀県琵琶湖畔 膳所坂本屋門前

撮影は大正初期と思われ
江戸時代膳所藩お抱えの御用料亭で
膳所木下町付近に位置し
シーボルトの旅日記に記載されています





昭和の風景・弁天埠頭

弁天埠頭 昭和45年撮影
大阪市

かつては大阪の海の玄関口で
関西汽船や加藤汽船が小豆島、高松、松山、今治、別府等に
多くの航路がありました

弁天埠頭ターミナルビルが出来たのは昭和40年
1995年に客船は天保山、フェリーは南港に移転し
現在の弁天埠頭は廃墟と呼ぶに相応しい状態です

関西汽船
現在はフェリーサンフラワーに合併しています


撮影当時は現在のフェリーではなく客船の
すみれ丸とこはく丸が
弁天埠頭と別府間を運航していました
この当時はこの他に
くれない丸、こばると丸、あいぼり丸
こがね丸、あかね丸等があったと思います

当時は修学旅行などの学生や旅行で
賑わいを見せていました









昭和の風景・青の洞門

大分県・青の洞門 昭和47年撮影

大分県中津市本耶馬渓町樋田

全長342mでトンネル部分144mです

1750年第1期工事が完成し
最終的に開通したのは1763年でした

1906年から1907年にかけて
日出生台演習場へ輸送路のため改修して
車両が通過できるよう拡幅され
その結果原型はかなり失われましたが
明かり採り窓等の一部には
手掘りのノミの跡が残っています





温故知新 三重県熊野市「鬼ヶ城」

三重県熊野市にある鬼ヶ城の昭和初期の絵葉書を入手出来ましたのでご紹介します。

鬼ヶ城は国の名勝に指定され、天然記念物にも指定されています。
また、2004年7月には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。

鬼ヶ城を境にして伊勢方面から続くリアス式海岸が、七里御浜という約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸に変わります。
この鬼ヶ城がある山の頂には鬼ヶ城本城があり、1523年頃の室町時代に有馬忠親が隠居城として山頂に築城した城跡があります。
この城跡には熊野古道松本峠からそれほど距離が無く、城跡に立てば七里御浜と熊野市街の大パノラマが広がります。また、城跡から鬼ヶ城への遊歩道もあります。

昭和初期では木造の家屋が立ち並んでいます。



最近の写真では、コンクリートの建物が殆どで、堤防上には国道42号線が走るようになりました。また、海岸が後退しています。これは、ダムにより河川から海に土砂流出が減少したのが大きな原因の一つです。



温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 6

おはようございます
今朝の気温は13度、快晴です

池神社の今昔6回、最終回です
明神池は周囲1kmあり、奈良県では天然の池としては最大の池です。
「ヌシが住む神秘の池」として村人に畏(おそ)れられている池がある。
その評判を聞いた役行者が大峰山脈から下りてきて、この池のほとりに立ったとき、幽玄な池の神気に打たれ深く感動し、この地に神社を開いたと言われています。
古書によれば、大阪城築城の際にこの池の周囲の大木が献上され、大阪城が落城したときにはその末木が湖面に浮かんで、七日七夜湖面の周囲を周り続けたと云われています
明神池の成立ちは、約20万年前に池郷川の川底が隆起して、川が堰き止められ出来た川跡湖になります。
また 池の周囲には遊歩道があり、自然と触れ合うことが出来、野鳥などが目を楽しませてくれます

「明神池」が特別な力を宿す「神秘の池」であり、それ故役行者がここに社を作った長い歴史と「祈りの場」である伝説の池「明神池」。
どうか敬虔な気持ちで足を運んでください。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。


昭和5年


現在 大杉が本殿裏の1本だけになっています


積み上げられた旧鳥居 享保十八年(癸丑)1733年銘


寺垣内住吉神社


住吉神社に残る池峯大明神と文化七年(庚午)1810年11月吉日の銘がある鳥居の一部で、かつては明神池側または末社拝殿前にあったと思われます



温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 5

おはようございます
今朝の気温は15度、雨です

4月になってから雨が多く、車の洗車をしてないので、車がシマウマ状態になっています。

池神社の今昔5回目です
池神社石造物の年号は、石鳥居(現在は本殿脇に積み上げられています)享保十八年(癸丑)1733年、灯篭は安政七年(庚申) 1860年3月15日、天明八年(戊申) 1788年9月、嘉永三年(庚戌)1850年1月の3基が現存し、1基は判読できません、また、土台のみで上部は奥に放置されている灯篭が安政五年(戊午) 1858年3月17日の銘になります。
また、寺垣内にある住吉神社本殿脇に池峯大明神、文化七年(庚午)1810年11月吉日の銘がある石柱の一部があり、かつて池神社にあった鳥居の一部と思われます。
住吉神社は池神社の分霊を祀ったとの言い伝えがあり、文禄4年(1599)の検地帳に記録があることから、室町時代には祀られていたのではないでしょうか。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。


昭和5年


現在 大杉が現存し、樹木が成長しています


本殿右側の灯篭で手前から2番目安政七年(庚申)1860年3月15日、3番目天明八年(戊申)1788年9月の銘


本殿左側の灯篭で一番手前安政五年(戊午)1858年3月17日、2番目嘉永三年(庚戌)1850年1月の銘、3番目は風化により判読出来ません




温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 4

池神社の今昔4回目です
池神社の旧神社附属の寺院は、旧池峰村の龍光寺、上下池原村組合で下池原村の普門寺、寺垣内、浦向、佐田三ケ寺組合で寺垣内の正法寺、上桑原、下桑原組合で下桑原の滝厳寺の四ヶ寺があり、此の四ヶ寺の住職は社會兼務にて神職欠員の時は月交代にて社務を執り行ない、瀧光寺は常務社會の資格を有して神職同様毎日朝拝日供の礼を守り、三月十五日(現在4月15日)大祭典の節は四ヶ寺の僧侶が列席し厳正に読経の式がありました。しかし、明治元年の「神仏分離令」により廃止されましたが、各寺内に氏神の神号位碑を奉安し崇敬され続けています。
氏子はかつて、旧池峰村上池原村下地原村の三ケ村でしたが、延宝年間には全村が氏子になりました。

現在に於ける神社の祭日は毎月1日、15日の両日に月並祭を執行し、大祭は4月15日、9月9日、11月3日の3回あり、現在はその日に最も近い土曜か日曜に執り行われ、11月3日には子供神輿や餠まきなどで賑わいます。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。


昭和5年 旧忠魂碑 明治39年4月7日銘


現在 池の平ゴルフ場6番フェアウェイ中間のあたりです


現在は池神社本殿左側にあります



温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 3

おはようございます
今朝の気温は5度で快晴です

今日はご紹介している、池神社の大祭の日です。

池神社の今昔3回目です
池神社の祭神は、市杵嶋姫命 天児屋根命 少那彦命になります。
また、末社は三社鎮座し、壱社は大山祗大神を奉祭し、壱社は菅原大神を奉祭し、壱社は旧奉行伊井掃部頭、代官鈴木三郎九郎、代官国科半兵衛の一奉行二代官を併せ奉祭しています。
大山祗大神は当時山職が多かったこと、菅原大神「菅原道真公」は文学の守護神として、奉行伊井掃部頭、代官鈴木三郎九郎、代官国科半兵衛は、天災凶作等の救済に功績偉大なことで、奉謝の意を表し英名を後世に伝え生命の守護神とされました。
また、水の神様、雨乞いの神様と崇められ、熊野の「花の窟神社」との関係があるとも言われ、現に雨乞いの時には「明神池」の水をお供えするそうです。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。


昭和5年 末社の鳥居とご神木


現在 左に振ると前の写真と同じ方向になります


現在の地図


昭和5年の地図


元和7年(1621年)〜明治12年の地図

温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 2

おはようございます
今朝の気温は11度、曇です
昨夜は雷と強い雨でしたが、今朝は晴れ間も見えています。

池神社の今昔2回目です
池神社は始め、「池峰大明神」と称されていましたが、のち「池大明神」その後明治6年に現在の「池神社」と改称されました。
最初は 池の坂峠「辻堂」にあり、元和7年(1621年)に現在地に遷宮されました。
文明18年(1486年)の峯中記に、「転法輪嶺、是れより北東に当たって池の神社という大池あり、この池は神代の昔に出池す」との記述があり、これより以前に創建されたものと思われますが、正確な年代は不明です。また、明治12年に明神池南端の一部を埋立て、境内の拡張をしています。
明治45年の調査綱目によると、「埋立て以前は、現在の大鳥居まで池があり、其の中央に真曲橋を架設しありたり。」の記述があります。
祭神はかつては役行者をまつる社であったということですが 明治元年の「神仏分離令」により、「市杵嶌姫命」になり、御神像(役行者)は完全な秘仏とされました。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。

昭和5年 鳥居と狛犬が現在とは異なります


現在 狛犬に昭和8年5月の銘があり、昭和8年には現在の姿になりました


現在と昭和5年を合成


昭和37年 この頃は現在の鳥居が出来、道も現在と同じ位置です


大雨で明神池増水の様子



温故知新 ・奈良県下北山村「池神社」 1

おはようございます
今朝の気温は8度、快晴です

昭和5年発行の池神社の絵葉書が6枚入手出来ましたので、6回に分けて現在の様子と比較してみました。

第一回
下北山村には多くの名所がありますが、「注ぐ谷なく出るに川ない池」として崇められ、不敬のことがあると雷雨を伴う大雨が降る、と伝われている神秘の池「明神池」。
そして、この池に接し役行者が無人の山中にこの幽玄な池を見てその霊気にうたれ、これぞ神の在す処として祀りはじめた明神池を御神体にする、歴史を感じることのできる池神社の変化をご覧下さい。

尚、詳細につきましては、当発行HP「本物に巡り合う旅」でもご紹介していますので、あわせてご覧下さい。


池神社全景


昭和5年


現在 本殿裏手のご神木が現存しています


前鬼不動七重の滝の変化

おはようございます
今朝の気温は-1度で快晴です
気温は低いのですが、太陽の下では春の陽気を感じさせてくれます。

今回は前鬼不動七重の滝の30年前と現在の姿を比べてみました。

下北山村の前鬼にある
前鬼不動七重の滝
日本の滝100選にも選定されているこの滝は、落差120mの七段に落ちることから呼ばれています。
しかし、実際には見えない部分に2段の滝があります。

今回は、この前鬼不動七重の滝の昔と現在の写真を比べてみました。
最初の写真は、昭和60年「1985年」
次の写真が平成14年「2002年」
最後の写真が現在の様子です。
季節はほぼ同じになります。

変化が分かりやすいのは
滝に向かって左の斜面の植生が豊かになっています。

ここまで植物が繁茂するのに30年ほどかかっています。









池原大橋の歴史

おはようございます
今朝の気温は6度、雨が降っています。

かつて、下北山村の池原地区を流れている北山川は、対岸への移動に小船による渡しでした。


しかし、当時の北山川にはダムも出来ておらず、水量も多く、雨の後には数日間渡し舟が運行できず大変であったそうです。

この為に、全長163.4m、有効幅員3.66mの当時としては大きな橋が計画され、昭和3年に池原大橋が完成し、今でも現役で大切に使われています。

工事中の池原大橋




現在の池原大橋


上の写真は同じ場所からの撮影ですが、川の水量が違います。
ダムが出来た現在では、北山川の水はここから下流にある水門から放出されるために、この場所を流れる水は池郷川の水が主になります。
それでも大雨の時には、現在車が止まっている場所を含め、川幅一杯にまで水量が増えることもあります。

あのころ君は若かった

おはようございます
今朝の気温は1度で曇り空です。

覚えていますか?
1964年の10月10日を。

体育の日が制定された日なのです。
日本いや、アジア初のオリンピックでした。
新幹線、首都高速などが整備され、東京は大きく変化しました。


重量挙げの三宅が金メダルをとりました。


マラソンでは、アベベが圧倒的な走りで人々を驚かせました。


この他にも貴重な画像が沢山ありますので、ボチボチ載せていきます。


私の若いころの写真です・・・・


ストックは竹
ビンディングはワイヤーで止めます
もちろん転んでもスキーは外れません
このころは骨折する人が多くいました。
私も骨 骨折しました・・・

小学校の授業ではスキーがあり、毎年何人かは骨折してました。
それが普通で誰も苦情を言わなかった時代です。
骨折したほうが悪いと。。。



瀞峡観光船の今昔と45年前

今回は珍しい写真をご紹介します。
瀞峡の観光船です。


熊野川は川底の浅い部分も多く、一般的なスクリューの船は導入できませんでした。
このため、川舟の船尾に小型飛行機のエンジンとプロペラをそのまま取り付けたプロペラ船が考案されました。


このプロペラ船は昭和18年から40年代後半まで運行されていましたが、昭和40年ごろから画期的な動力のウォータージェット船が就航しました。
この船の最高速度は時速40km以上ととても速く、瀞峡観光の時間短縮にもなりました。


この2枚の画像はほぼ同じ場所と方向です。
ウォータジェット、聞きなれない言葉ですが、船の後方から水を高速で噴射して進む方式で、小さなものではジェットスキーがあり、大きなものではジェットフォイル等があります。
このジェットフォイルは佐渡ヶ島や韓国などにも就航していますが、エンジンはジェット飛行機のエンジンを使用し、最高速度は時速80劼肪します。

現在の瀞峡ウォータジェット船は、45年もの歴史があるのですね。

45年前と言えば・・・・
早川電機工業がシャープに社名変更
ソニー、10万円を切る電卓発表
花王石鹸が「メリット」を発売
日本万国博覧会(大阪万博)開幕
日本航空機よど号ハイジャック事件発生
鈴木自動車工業が「ジムニー」を発売
キヤノンが国産初のコピー機を発売
ケンタッキー・フライドチキンの日本第1号店が開店
などがありました。


若かりしころ撮影した写真です

昭和45年、1970年の我が家です。
テレビが時代を感じさせますね


昭和45年、現在の大阪狭山市、南海高野線の金剛駅付近です


昭和45年、狭山ニュータウンです
一部で分譲が始まり、人口も増えだしてきました。


昭和45年、狭山ニュータウンです
丘陵地を削り造成地を拡張しています


昭和50年代の大阪泉北港付近です



仕事柄、戦前戦後の昭和時代の写真が多くあるために、今後機会があれば記事にしていきます。



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